【2008年11月2日(日)】初秋奈良・京都特別拝観の旅Vol.31
今回の旅行3日目は、秘仏の吉祥天が公開されるというので浄瑠璃寺に行くことになった。その旅程を組む際にそこまで行くのなら近辺にどこか寄るべきところがないかを調べた結果、海住山寺と恭仁京跡に回れる。そして、その近くについ最近まで知らなかった神童寺という古刹があるということを知った。
現在(2008年12月まで)本堂の改修で本尊の蔵王権現は拝観出来ないが、他に見応えのある仏像が多く揃っているという。
【神童寺】
恭仁京跡からはタクシーで結構かかった。狭く細い道を上がっていくと、坂の途中でタクシーが停車した。「ここに?」というほど住宅に挟まれたところに階段がありその上に小さな山門が見えた。
山門正面の奥には足場が組まれ青いビニールシートが掛けられて本堂が工事中だと分かる。日曜だからか工事の人影はない。本堂横の住宅に拝観受付の紙が貼られている。そこのベルを押す。しばらくしてもう一度。しかし家の中でベルが鳴っている音が聞こえない。誰もいないのだろうか?と思いながら自宅の玄関のベルを鳴らす。すると、はじめにおばあさんが出られたので、「拝観をお願いしたいのですが」と言うと、続いて奥さんが現れて「本堂が工事中なので本尊は拝観出来ないのですがよろしいですか」と言われる。はい、と答えると、住職を呼ばれた。住職は拝観受付の窓を開けられたので、ご朱印もと言ってお願いする。
【寺宝】
拝観料と朱印料を納め、朱印を頂くと、住職が玄関からジャージ姿で鍵を持って現れ、どんどんと狭い道を上がっていく。上がりきったところに鐘楼と収蔵庫があった。収蔵庫のドアを開け電気を点けてスタスタと中に入られるので続いて入っていく。
堂内に並んだ仏像群を見て「おーっ」と溜息が出る。列の中央で手を合わせると、住職の説明が始まった。
本山は元々は聖徳太子が開かれ、その後役行者が蔵王権現像を彫刻し、その後興福寺に属していたために1180年の南都焼討にあったという。
堂内には中央に以前国宝指定を受けていた定朝様の上品下生の阿弥陀如来坐像が安置されている。連弁が重なっているのは珍しいという。その向かって左には一木造りの月光・日光菩薩が、右には頭の上に弓を構える天弓姿の愛染明王が、毘沙門天が並んでいる。そして現在は三井寺展に借り出されている白不動尊が本来はある。来年2月にサントリー美術館に来るそうだ。その右には、木の根の祠に入った役行者と2体の鬼が堂々とした佇まいを見せていた。
いくつか質問させていただいたり、感想を述べたりしていたら、住職が饒舌に色々とお話くださった。住職は佐渡島の出身で、佐渡にはお寺が300もあるという。京都の智積院で修行され、このお寺に来られたという。
【護摩壇】
収蔵庫の外には護摩壇がある。真言宗(智山派)のお寺らしく、住職がここで護摩を焚くのだという。火によって周囲の樹木が枯れてしまったところもあると言いながら説明してくださる。
【文化財修理】
「折角だから、本堂の屋根に登りますか?」と言われたので、即座に「よろしければ」とお願いすると、別の鍵を取りに行かれ、工事現場の踏み板を登っていく。ドアが開けられるとそこは屋根だった。
現在修復中である唐招提寺の屋根の工事の模様をテレビで見たことがある。その光景を思い出した。寺院の本堂の瓦の上に登るという経験は滅多にないだろう。屋根の反りの美しさというものを実感できた。
蔵王権現3mもあるという。本堂の天井いっぱいまでになっていて、出すにも出しにくいのでそのまま工事に入っているという。重要文化財のため、この修理工事費1.5億円の多くは文化庁から出ているというが、檀家の少ないお寺の負担は大変なものらしい。
本堂が完成したら、再度訪問しよう。
【木津駅】
かなりの時間この寺に居たので、タクシーの運転手も何をやっているのだろうと訝しがっていたに違いない。16時10分に神童寺を出て25分に木津駅に到着。2時20分に乗車してからここまで、なんと6,560円で済んだ。木津からJR快速で京都へ出た。