【2008年4月27日(日)】修善寺旅行Vol.9
修善寺駅から伊豆箱根鉄道に乗り、天気の良い山間の風景を楽しみながら、伊豆長岡駅で降りる。バスの運転手さんに願成就院までの道を尋ねると、「バスは行ってないので、大きな通りに出て右に曲がったら真っ直ぐ行き、10分ぐらいで左に曲がる看板が出ている」と丁寧に教えてもらった。大通りには車の通行量は多いが、町は静かで歩いている人は見かけない。看板がなかなか見えてこず、少し不安になってきたところで、電柱の上に錆が目立つ看板の「願成就院」という青い文字が見えてきた。
左に曲がると、小高い山の麓に山門が見えてきた。
願成就院は、1189年に源頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝を祈願して北条時政公が建立した真言宗の古刹である。嘗ては大伽藍だったようだが、現在はかなり縮小されてしまっているが、落ち着いた佇まいで実に安心させられる。山門の向こうには大御堂が緑に囲まれて建つ。お堂の手前に簡素な拝観受付があり、拝観を申し込み朱印帳を預けると、堂内に案内して頂く。ご住職が高野山に行って留守なのでと断りながら、ご住職の奥さんらしい方が丁寧に説明を始めてくれる。
護摩壇の向こうに、中央に阿弥陀如来、右手に毘沙門天、左手に不動明王と矜羯羅童子、制た迦童子がずらりと並んでいる。これらすべてが運慶作の仏像だ。鎌倉期の天才仏師とうたわれる慶派の大仏師運慶がこの地に招かれて35歳頃に造った諸仏である。
中央の阿弥陀如来坐像は説法印を結んでいるが、前に倒れたことから手の指が損失し、また頭部の螺髪もいくつか失われている。が、圧倒的な量感、存在感はそのような損失をもろともせずにいる。力強い体躯、厳かな尊顔、深い脚部の衣文の彫りは、漲る力強さを彷彿とさせている。他の四体の仏像はまん丸に見開いた力強い眼や写実的でダイナミックなポーズが印象的で、間近に見ると尚更圧巻である。
他の諸仏も運慶彫刻の真髄が表われた名作である。昨年末に京都の六波羅蜜寺で見た運慶の像は大僧正のようであったが、単なる彫刻家ではない人格の高い人物像を感じる。
お堂内には後から仏像に詳しい方たちが来られ専門的な質問もされていた。