【2007年12月30日(日)】大阪・京都年末旅行Vol.13
宇治川沿いの道に出て、右手に中の島を見ながら強風の中を数分歩き、宇治発電所から流れる川が宇治川に流れ込んで来る所に架かる観流橋を渡ると、興聖寺と書かれた石塔が現われる。
石の総門をくぐると、琴坂と名づけられた緩やかな坂が山門まで200mにおよんで続く。両脇の築地の左右は鬱蒼とした樹木で、春は新緑、夏は緑陰、秋は紅葉で美しいらしい。何台か年末の墓参でやってくる車が琴坂を通る。
坂の終わりには白壁に白い門柱が目に鮮やかな禅寺らしい山門が控えている。禅寺の建築物の白塗りには、はっとして立ち止まり背筋をぴんとする効果がある。
山門の先には更に小さな門があり、その先には大きな屋根の本堂が配されている。正面には拝殿が控えるが、左右対称の真ん中ではなく、何故だかやや左に寄っている。
内部の拝観は出来ないものかと思って庫裏に行くと、薄暗い中に受付があり、拝観とご朱印をお願いする。拝観料は住所と名前を書いた袋に入れてお渡しすると祈祷して頂ける。本堂の廊下は鴬張りで、天井は手足の形が残る血染めが白く丸印されていると、僧が教えてくれた。
靴を脱いでスリッパに履き替えるが、観光客は我々以外に誰もいない。
この興聖寺は曹洞宗の開祖道元禅師が初めて禅道場を開いた寺という。道元禅師は、比叡山や栄西禅師が開いた建仁寺で学んだあとに中国に渡り、帰国後にここの禅道場を開いたという。曹洞宗の本山である福井の永平寺はその後に開創された。
テレビで永平寺の修行の模様を見た記憶があるが、禅寺の修行はストイックそのものだ。ここの僧堂を見ると、凛として、その厳しい坐禅修行の様相が目に浮かんでくるようだ。曹洞宗の坐禅は臨済宗のそれと異なり、壁に向かって坐禅するというが、いずれにしてもその修行は自己の内面を鍛えるのであろう。身体を徹底的に酷使する修験道とは異なり、静の修行も厳しさには変わりない。そうやって自己を鍛えることで悟りというのか何か真理を掴むことに近づくのだろう。