【2007年8月12日(日)】
猛暑の中、世田谷美術館で「青山二郎の眼」展を見て来た。
小田急線の成城学園前駅からバスで数分の砧町から徒歩数分。東京中央卸売市場世田谷市場の隣の砧公園の緑の一角に世田谷美術館は佇む。
【「青山二郎の眼」展】
「白洲正子の物語も小林秀雄の骨董もこの男から始まった」とあるように、青山二郎はいわゆる「骨董」世界のカリスマである。
目利きというのは一種の才能であろう。芸術作品を選別したり格付けをしたりするのは、作品の作り手と同様に才能が伴わなくてならない。
その才能は生来の才もあるだろうが、努力の賜物でもある。「天才とは1%の才能と99%の汗とからなる」と言われるが、青山二郎の場合も天賦の才に努力の結晶で磨きをかけたようだ。
横河コレクション約1万点の中から60点を選び出して「甌香譜」というコレクション集を作るために、先ず1万点の作品を丹念に「見た」という。
毎日毎日ただひたすら作品を見るのである。膨大な時間をかけて作品を見ることで、作品を見る眼を養うことが出来るのであろう。
目利きにはそういうプロセスが必要なのである。むろん選択した作品の理由や評価を表現しなくてはならない。しかし、単に好き嫌いを言うのではなく膨大な時間を費やした結果、自ずと言葉になるのであろう。
だから「眼は言葉である。」と青山二郎は言うのである。
最近少しは骨董の前に佇んで見る機会が多いので、少しずつではあるが、眼識が付きつつある、と思っている。だが、言葉には至らない。
それにしても、民藝第1号を飾った写真の青山二郎使用の蕎麦猪口はよかった。