【2012年12月29日(土)】師走の京市内と大和路を歩く#16
新京極にはまだまだお寺がある。これは豊臣秀吉による京都改造で各寺が集められたことに拠るところが大きい。
今は繁華街になったが、当時はどうだったのだろうか?
その一角に平安時代の才色兼備で名高い和泉式部にゆかりの深い「誠心(じょうしん)院」がある。
正式には華嶽山東北寺(かがくざん とうぼくじ)誠心院と号す、真言宗泉湧寺派に属するが、通称は和泉式部の名で有名である。
元々は関白藤原道長が娘の彰子に仕えた和泉式部のためにお堂を建立したのが始まりという。
他の寺町のお寺と同様に天正年間にこの地に移された。
境内の一角には、和泉式部の宝篋印塔がある。
1313年に改修された高さ約4.2m、幅約2.4mと、この種の塔では最大級のものという。
「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの あふこともがな」(百人一首)
と詠んだ和泉式部は、寺伝によれば初代住職だったとも。
境内には他にも見どころがあるようで、庫裏も本堂の裏手にあるようだったが、知らずに寄らなかった。
水かけの行者さん(神変大菩薩)が片隅に祀られていた。