【2012年10月13日(土)】
午前中に清泉女子大学でラファエル・アカデミーの「仏教彫刻の歴史をめぐる」後期2回目の受講を終えた後、この日は久しぶりに出勤せずと決めたので、久しぶりにお寺巡り。
新宿御苑のすぐそばの「太宗寺」へ。
一度訪れたことはある。その後に母に話すと、小学生の頃に四谷に住んでいた母は、この寺の前を通るのが暗いし閻魔様がいるしというので怖くてと語っていた。
江戸六地蔵の一体の3番目として1712年に造立された像高267cmの地蔵菩薩は、門を入ってすぐ右手に座っておられる。
像内には小型の六地蔵などが納入されていたという・
その向こうに閻魔堂。
堂内には閻魔像と奪衣婆(だつえば)像が安置されている。
正面の像高550cmの大きく赤い顔の閻魔像は1814年に安置されたもので、「内藤新宿のお閻魔さま」として庶民の信仰を集めたというが、母はこの閻魔様を見たかどうかは定かでないが、閻魔様がいるということで子供だったので怖かったのだろう。
奪衣婆像は左側にあるので見づらいが、1870年作の高さ210cmと大きくリアル。
奪衣婆は閻魔様に仕え、三途の川を渡る者から衣服をはぎ取り刑の軽重を図るとされている。
その閻魔堂の対面に三日月不動堂が建っている。その左手に塩かけ地蔵と神社が並ぶ。
三日月不動堂では、1人のおばあさんが鐘を何度も何度も打ち鳴らし、その後、パンパン、パンパンと強い拍手を続けて打っている。
拝観し、堂内を覗く時に、そのおばあさんが「そこに明かりのボタンがあるわよ」と言ってくれたので、押すと1分間堂内点灯されるボタンを押す。
カメラを構えて写していると、そのおばあさんが、「あらっ、良く見えるわね」とカメラのファインダーを覗いてくる。
手前の布袋様は実ににこやかな笑顔。
本尊の三日月不動はなかなかうまく撮れない。
額の上に三日月があり、それが光って見える。
寺伝によると、高尾山薬王寺に奉納するためにの運搬中にここで休憩した時に動かなくなったということで、不動堂を建立したという。
像高194cmの銅造、火焔光背の総高は243cm。
おばあさんは、上手く撮れると「これでお不動様も喜ぶでしょうね」と言う。
「初めてなの?」と訊かれたので、2度目ですと言うと、「内藤町というのは、何丁目というのがないの」と語り始める。
昔、うちの母がこの前を通る時は怖くて走って通ったと言っていましたと言うと、「お母様はまだお元気なの?」と訊かれたので「ええ」と答えた。
その後、おばあさんは再び拍手を打ち鳴らし、次には本堂前でそれを行っていた。
寺務所手前には、江戸時代に隠れキリシタンが密かに礼拝されたとされる灯籠が置かれていた。
内藤新宿は江戸の出入口(他に品川、板橋、千住)の1つとして旅籠屋が多く、飯盛女と呼ばれる遊女が幕府公認で置かれ、一時は吉原から訴訟が出るほど繁栄したという。
ご朱印をいただく時、浄土宗なので本尊は阿弥陀様だと思い、「御本尊は立像ですか、坐像ですか」とお伺いすると、坐像とのことだった。