【2012年8月13日(月)】2012年夏福井・奈良・京都旅行#57
ホテルでシャワーを浴びて休憩後に、奈良国立博物館へと向かう。この日は19時までの拝観が可能(30分前入館)だったので、夕食前に1時間程度で観て回ろうとスケジュールに組み込んだ。
周辺ではなら燈花会の準備が進んでいる。
東京国立博物館友の会のチケットで入館。
サブタイトルに「東大寺再興を支えた鎌倉と奈良の絆」とあり、1180年の南都焼き打ちにより東大寺が多くの伽藍を失ったものを再興させた重源とその後を次いで「大檀越」と称されるほどまでにこの事業を支えた頼朝にフォーカスした展覧会である。
第1章:大仏復興-仏法・王法の再生-
東大寺の大仏に甚大な被害が及んだ南都焼き打ち後、後白河法皇は藤原行隆を造寺・造仏長官に任命し、俊乗房重源を大勧進として再興に乗り出した。
大仏の螺髪の大きさにも驚いたが、西行が奥州に砂金勧請に行っていたことを初めて知った。
第2章:大勧進重源
1181年大勧進として東大寺再興を請け負った俊乗房重源は61歳。その背景には、3度に及ぶ渡宋経験などがあった。
東京国立博物館で展示された際に見た後、今年のGWに東大寺の俊乗房特別拝観で拝観出来た重源上人坐像は、本当に生き写しの感じである。
重源と深い関係にあった快慶の兵庫・浄土寺の阿弥陀如来は、1201年に重源が快慶に依頼して制作された巨大な像。先日なら仏像館に展示されていた際に見ることが出来た。
また、重源の臨終仏である阿弥陀如来も快慶の1203年作。こちらは快慶の特徴が余すことなく溢れている。
大仏造立を行った行基菩薩を強く意識していたことも分かる。
第3章:大仏殿再興-大檀越 源頼朝の登場-
後白河法皇が崩した後は、新たな東国の権力者となった源頼朝に大仏殿再建という大きな場がもたらされ、資金や物資の調達のみならず尽力した。
また、1195年の大仏殿落慶供養の際には、後鳥羽天皇が行幸し、頼朝は鎌倉から数万の軍勢を率いてこれに臨んだという。
勧進所阿弥陀堂に所在する四天王像も展示されていた。
第4章:栄西そして行勇へ-大勧進の継承-
重源以降、13世紀中頃までの再興事業を主導したのが、栄西・行勇に代表される鎌倉ゆかりの僧たちであった。
第5章:頼朝の信仰世界-鎌倉三大寺社の創建と二所詣-
1180年に頼朝は鶴岡八幡宮を奉遷。また、伊豆での挙兵を助けた伊豆山神社と箱根神社に対する尊崇は厚く何回も参拝に行っている。
第6章:八幡神への崇敬
手向山八幡宮に祀られている快慶作の僧形八幡神坐像は、実に見事な作品である。
(※展示品の写真は、
「展覧会ホームページ」より。)