【2012年8月12日(日)】2012年夏福井・奈良・京都旅行#27
東大寺二月堂の「お水取り」のための「お水送り」の地「鵜の瀬」に神宮寺から行くこととなった。
そういえば、白洲正子の著作に書いてあったような気がする。
京都へ通じる鯖江街道を進む。
すると、ここですよ、と運選手さんが言う。
見れば、河原で子供たちが遊んでいる。
その手前には、由来の書かれた看板と社がある。
由来がよく分かるので、看板に書かれている文章を全文掲載する。
「鵜の瀬
天平の昔 若狭の神願寺(神宮寺)から奈良の東大にゆかれた印度僧実忠和尚が大仏開眼供養を指導の后 天平勝宝四年(753)に二月堂を創建し 修二会を始められ その二月初日全国の神々を招待され、すべての神々が参列されたのに若狭の遠敷明神(彦姫神)のみは、見えず、ようやく二月十二日(旧暦)夜中一時過ぎに参列された。それは川漁に時を忘れて遅参されたので、そのお詫びもかねて若狭より二月堂の本尊へお香水の閼伽水を送る約束をされ、そのとき二月堂の下の地中から白と黒の鵜がとび出てその穴から泉が湧き出たのを若狭井と名付けその水を汲む行事が始まり、それが有名な「お水取り」である。その若狭井の水がこの鵜の瀬の水中洞穴で、その穴から鵜が奈良までもぐっていったと伝える。この伝説信仰から地元では毎年三月二日夜この淵へ根来八幡の神人と神宮寺僧が神仏混淆の「お水送り」行事を行う習いがある。」
神事の時とは違う川遊びの光景が展開するので、どこにその水中洞穴があるのかは窺い知れない。
少し移動した白石神社の傍の人の駅には、鵜の瀬の「お水送り」の時のパネルやジオラマやビデオがあったので、理解が深まった。
ビデオは神宮寺での護摩焚きから松明行列が始まり、鵜の瀬でお水送りを行うシーンが展開する。
こちらはジオラマ。ここまでするかといった感じも否めない。
パネルが一番わかりやすいかも。
と、「お水送り」の神事は分かった。
それにしても「お水取り」にはいつか行かねば。