【2012年8月12日(日)】2012年夏福井・奈良・京都旅行#25
羽賀寺の次は少し離れた「明通寺」へ。
それほど陽は照っていないが、暑いことは暑い。景色はよく、またもや山と田圃だ。
山門への階段は急だが、二層の楼門の山門が見えるので、自然と足は早くなる。
1772年に再建された仁王門には、鎌倉期の阿吽の金剛力士が立ちはだかっている。
境内はまさに山中に切り開かれた様相を呈している。
寺伝にはこうある。
「延暦のむかし、この山中に一大棡樹(ゆずり木)あり、その下に世人に異なる不思議な老居士が住んでいた。たまたま坂上田村麻呂公、ある夜、悪霊を感じ老居士の命ずるままに天下泰平、諸人安穏のため、806年このところに堂塔を創建し、・・・」
その「ゆずり木」というのがあった。
本堂は1258年再建の単層入母屋造りの檜皮葺。
堂内で僧侶から解説をいただいた。こちらは真言宗御室派。
先ほどの寺伝のことも入り、400年間に3度の火災にあい、そのたびに再建が繰り返された。
本堂内の仏像3体は約950年前の檜の一木造り。
本尊は薬師如来坐像で、以前は秘仏であったが、33年に1度の開扉が行われていたという。が、文化財保護法によって、広く一般にも文化財への造詣を深めるという主旨のもと、1972年から開扉されるようになったという。
本尊の薬師如来は、丸顔で優しさがうかがえる。でっぷりとした堂々とした体躯である。
向かって左には深沙大将が左手に蛇をつかんでグッと見つめて立っている。これは国の重文の3体のうちの1体だそうで、一般的に知られている三蔵法師の沙悟浄のモデルとなっていて、蛇は水の神の使いだそうである。
また、右手には三面八臂の降三世明王が立っている。
それらの手前左右には薬師如来の眷属の十二神将がそれぞれ6体づつ並んでいる。鎌倉期のもので玉眼である。
本堂内は簡素であるが、全体的に朱塗りで煌びやかさも併せ持っていた。
実は以前に大雪で屋根が崩壊し、本尊の入る厨子と光背が壊れてしまったので、それらは江戸時代の後補とのことである。
福井県での国宝はこの本堂と三重塔だそうである。
ということで、外に出て、三重塔へ向かう。
1270年に再建されてはいるが、往時のままのような風格のある塔である。総高22.12m。相輪は6.92m。
和様の端正優美な塔で、初層には釈迦三尊像、阿弥陀山尊像などが祀られているという。
先ほどの羽賀寺でうかがった不動明王に会いに不動堂へ。
堂内には本尊の不動明王の他にも数体の仏像が安置されている。
不動明王の表情は怖さもありユーモラス感も含んでいて、親しみやすさが感じられる。
最後に樹齢およそ500年というかやの巨木を見た。