【2012年7月28日(土)】(東京古寺探訪#81)
今日は日暮里方面を散策。毎週何となくどこに行くか決めるので、神出鬼没的寺社拝観巡りとなってしまう。
9時過ぎに日暮里駅南口に到着。
駅の直ぐ横の緩やかな「もみじ坂」を登ると、近代的な山門があった。
護国山尊重院天王寺は、鎌倉時代に日蓮上人の弟子の日源上人により開創されたのが、前身の長耀山感応寺であった。
が、不受不施派(簡単に言えば信徒でなければ徳も授けなければ施しも受けない)であったため、幕府から邪教とされ、強制的に改宗させられ、現在は天台宗となっている。
境内に入ると左手に大きな銅造の釈迦如来が露座されている。像高2m96cmの丈六の大仏様は、大変珍しいことに両手を胸前で合掌している。
制作は1690年と言われている。穏やかに目を閉じて合掌するお姿に、こちらも手を合わせる。
裏から見ても姿勢が良く衣文もきれいである。
本堂は正面に丸瓦が美しく両翼を伸ばして建っている。
堂内には内側が赤い仏天蓋の下に室町時代の阿弥陀如来が祀られている。中品上生印を結んでおり、目を見開きじっと真正面を向かれて尊厳が漂う。
本堂手間には「娑羅双樹」の木が植えられていて、緑の実を付けていた。
その木の左後ろに毘沙門堂がある。
こちらは藤原期の作で、普段は開扉されていないとのことであった。
御朱印を頂いている間、「どうぞ、そちらにお座りになってお待ちください」と言われたので、毘沙門堂の前のベンチに腰掛けていると、何だがずっとこのままここで過ごして居たくなってしまった。
こちらが古い山門。
このお寺は、「江戸の三富」と言われ、目黒不動、湯島天神とともに富くじが盛んで、寺社の運営費用に充てていたようだが、1728年の禁止令後もここでは興行されていたが、最終的に1842年に停止となったという。