【2012年7月15日(日)】<秦野寺社巡り#5>
水無川にそって歩くと、左側に天台宗の「命徳寺」がある。
雨が降り始めていて、緑が綺麗に映える参道を歩いていくと、右手に鬼子母神のお堂がある。
堂内は拝観できなかったが、境内の木々は良く手入れが行き届いていて清楚な感じである。
山門前には六地蔵が並んでいた。赤の帽子と首掛けが揃っていて、編笠を背中にしょっている。
そして、山門。
「薬医門」と呼ばれる形式とのことで、2本の本柱と2本の控柱で出来ており、屋根は茅葺の切妻造り。小規模ながらも細部の構造も複雑であるとのことで、風情がある。
本堂は、1651年に再建されたらしいが、現在の本堂で当初のものは内陣まわりに残っているだけとのことらしい。
本堂の扉が開かなかったが、ほんの1cmほど開いたので中を覗いていたら、ご住職がなにやら堂内で行われていて、扉を開けてくださった。
ちょっとおたおたしながらも「ご本堂は拝観出来ますか?」とお伺いすると、「申し付けて頂ければ」とのことだったので、「では、庫裏に回ったほうがよろしいですか?」と尋ねると、「いいですよ、ここからで」と言われたので、ずうずうしくも本堂に上がらせていただいた。
本尊は不動明王。矜羯羅童子、制多迦童子も脇侍に祀られている。
その向かって右には薬師如来坐像が、そして左には、日光・月光菩薩のような立像も安置されている。
拝観後に庫裏に回って、ご朱印をお願いすると副ご住職に対応していただいた。
副ご住職に、先ほど拝観させていただいた菩薩は、日光・月光ですかと尋ねると、どうも寺伝でははっきりしていないようで、確信はないらしい。