【2012年3月25日(日)】
東京国立博物館で行われている
「ボストン美術館日本美術の至宝」(3月20日~6月10日)を観に行く。朝9時10分頃に東博前に着くと、既に100名程度の鑑賞者が列を作っていた。
「東京国立博物館 友の会」の有効期間が過ぎていたので、更新の手続きをするために窓口に並んでから平成館に行く。
ボストン美術館は1870年設立、1876年の独立記念日に開館した140年の歴史を持つ。現在は45万点の収蔵品を有している。中でも、日本美術の宝庫として有名である。
その功労者は、フェノロサ(1853-1903)が1878年に来日しその後ボストン美術館日本美術部長に1890年に就任、ビゲロー(1850-1926)は18882年に来日し、41,000点を収集し、帰国後は理事となっている。
そして、フェノロサの薫陶を受けた岡倉天心(1863-1913)は中国・日本美術部長になっている。
全部で7部から構成されており、東洋美術の殿堂に相応しいコレクションが勢揃いしている。
<仏のかたち 神のすがた>
仏教絵画(奈良~明治の362点)、仏像・神像(飛鳥~明治97点)と欧米の中で質・量ともに抜きんでており、彼らの鑑識眼の高さが窺える逸品揃いで、日本にあれば国宝や重文クラスのものばかりである。
【法華堂根本曼荼羅図】奈良時代 8世紀 (※写真はHPより)
釈迦が霊鷲山(りょうじゅせん)で菩薩や大衆に法華経を説く絵で、八角天蓋の下に釈迦が、左下には5人の僧がおり、上部左右には天鼓、曼荼羅華が描かれている。
奈良東大寺の法華堂伝来の作という。
【馬頭観音菩薩像】平安時代 12世紀中頃 (※写真はHPより)
金銀の截金を多用した繊細で華麗な作品。四臂の中央の手は説法印のような珍しい印を結び、両足を前に突き出し、畜生道におちた衆生を救済する力強さが感じられる。
【弥勒菩薩立像】鎌倉時代 1189年 (※写真はHPより)
観るからに快慶の作品と分かる秀逸な仏像である。快慶の現存する作品中で最初期のもので興福寺伝来という。天心が買い付けたという。
曲線的な体躯、衣文の流れ、玉眼と慶派らしい写実感を持ちつつ、端正な作品。
全身は漆箔の上に金箔が鮮やかに残り、髻も高く、右足を半歩前に出し、腰を少し捻る姿に、装飾類も見事に造られている。
<海を渡った二大絵巻>
平安時代の「吉備大臣入唐絵巻」は24mもある大作で、吉備真備が唐で活躍した場面をユーモラスに描いている。
また、鎌倉時代の「平治物語絵巻」は計算された画面構成で平治の乱をドラマチックに表現している。
<静寂と輝き-中世水墨画と初期狩野派>
水墨画は鎌倉時代に主に禅僧が導入し、室町時代までは禅寺で広まっていたが、応仁の乱(1467-77年)を契機に狩野派を中心に発展した。
【金山寺図扇面】室町時代 16世紀 (※写真はHPより)
狩野元信筆と伝えられ、狩野派の金碧画の現存最古の作で、細密で鮮麗な色彩が美しい。
<華ひらく近世絵画>
安土桃山時代は狩野永徳、長谷川等伯が活躍し、江戸時代からは徳川幕府の御用絵師となった狩野探幽が寵愛された。他に俵屋宋達、尾形光琳、伊藤若沖の作品も並んでいた。
【龍虎図屏風】江戸時代 1606年 (※写真はHPより)
長谷川等伯作。6曲1双の墨画で、左端に岩土の虎、右上に天空から舞い降りる龍が幻想的な雰囲気で描かれている等伯晩年の作。
<奇才 曽我瀟白>
今、ブレイクしているらしい瀟白。奇才と称されるように、日本コレクションの中でも異彩を放つ。
【雲龍図】江戸時代 1763年 (※写真はHPより)
頭部4枚、尾部4枚のパネルになっているが、中の胴部もあったらしい。巨大な作品で、収蔵時の1911年には襖から剥がされた状態であったものを修復したもの。荒れ狂う雲の中に龍が潜んでいる。
今回のパンフレット類に使用されているのは、単に今年が辰年だからという理由だけではないだろう。
迫力がある半面、何か困っているような悲哀も混じる両眼、全体的なダイナミックさから龍の息遣いも伝わってくる気がする。
廃仏毀釈時には二束三文で売りに出されていた仏像・仏画を守り、遠くボストンの地で厚く守り続けてきたボストン美術館の日本美術は、一見以上の価値がある。