【2012年3月3日(土)】(東京古寺探訪#52)
青物横丁から南品川の寺院巡りは11ヶ寺となった。午前中に訪問した東京薬師寺別院を含めると12ヶ寺。
家を10時前に出てから、もう15時を過ぎている。ちょっと疲れたが、あと少し歩いてみたい。
川沿いの道を行くと、右手に、小さな古刹な山門がある。
日蓮宗の自覚山松陽院海徳寺。寺伝によれば1522年の開創。当時、漁港であった品川湊の有力者が自宅を寺としたというのが始まりという。
本堂は近年大修理が行われたというが、お堂の屋根の下、龍と龍の彫刻の間に見知らぬ猿のような動物がいる。一体なんだろうと思いつつ、あとでお寺の方に聞いてみようと思い、本堂へ。
堂内は思いのほかに広く、人天蓋も瓔珞も立派だが、本尊左右にも仏像が安置されているようだった。
そして、本尊が祀られている奥を見ると、これまで見たことのない仏像の配置。
日蓮上人の上に左右に2体の釈迦如来(?)その下にも2体の明王か?更に、脇に左右それぞれ数体の菩薩像などが安置されている。
本によれば、本尊は「一塔両尊四士」という。ほぉーっと思い、このような仏像安置があるのだと知った。
本堂右横には、珍しく誕生仏の石像が建てられている。
堂内にはお地蔵さんも数体ある。
そして、いわくあるお地蔵さん「ホームラン地蔵」。王貞治氏が新人の時、難病の少年と知り合い、何度か見舞ってホームラン王のタイトルを約束するも少年和夫君は他界。その年王選手はタイトルを初めて獲得したという。
それに因んで、「和夫地蔵」は錫状でなくバットを掲げている。
庫裏に入ってご朱印をお願いすると、「今、住職がいないものですから」と奥様。「千歳の大砲はどこにありますか?」と伺うと、左手の門の壁際にあるとのこと。さきほどの猿のような本堂屋根下の置物について訊くのを忘れてしまった。
1906年に品川沖に停泊していた軍艦千歳に向かった伝馬船が転倒した際の犠牲者の慰霊碑。傍らには千歳の大砲もあった。