【2011年9月30日(金)】奈良・京都初秋の旅#13
弥勒堂の横に単層寄棟の平安初期創建の金堂がある。
正面、側面共に五間で国宝に指定されているだけあって美しい。
懸け造りの部分の礼堂は建て増しされたという。
通常はその礼堂の外側にある廊下部分からしか内部を拝観することが出来ない。単眼鏡で見てもなかなか細部までは拝観することが出来ず、毎回残念な思いをしていたが、今日は内陣に入れる。
内陣で特別拝観の受付をすると、散華と十二神将が描かれたファイルの記念品をいただいた。
それよりも、受付のおばさんが丁寧に解説してくださるのがありがたかった。
向かって左より、ぷっくらとした尊顔が可愛らしく彩色も良く残っている十一面観音、続いて文殊菩薩、中央本尊は釈迦如来。こちらは眼をつむり唇を小さく結ぶ尊顔で、衣文が水流式ということで水が流れるように見てとれ、僅かに金箔の跡が残っている。榧の一木造りで、板光背に七仏薬師が描かれている。
その隣は細かい螺髪の薬師如来、一番右に地蔵菩薩。どの本にも解説があるように、光背の大きさと本尊が一致していない。本来の本尊は子安地蔵ということで、近隣の安産寺に安置されているという。
係りのおばさんが、「受付で電話番号教えていただけますよ」と教えてくれた。
五体とも板光背がきれいである。また、本尊の後ろにはには5枚の板の平安初期の帝釈天曼荼羅が安置されている。
一番手前には十二神将が(この時2体は奈良博に出張されているということで10体)が勢ぞろいしていた。
そして、礼堂からは見ることが出来なかったが、右奥には智拳印の大日如来が、左奥には聖観音が安置されている。
「あちらは、聖観音さんですか?」とお聞きすると、「そうです。唯一五木寛之先生が取り上げられたんですよ」と嬉しそうに応えてくれた。
じっくりと拝観させていただいていると、「ここ(梁の部分)の蛙股には薬壺が描かれているんですよ」と教えていただいた。朱塗りの梁の中央の蛙股に薬壺が浅く彫られている。内部で撮影できないので、「外側にもありますよ」と教えていただいた。
帰りがけにもう一度金堂を眺めると、内部の様子が窺い知れた。
偶然に内陣で拝観出来たことは感無量であった。そして、係りのおばさんに感謝。