【2011年7月18日(月・祝)】
先日の新聞に、平等院鳳凰堂の棟飾の鳳凰の尾羽片が本尊阿弥陀如来坐像の胎内に納入されていて、それが創建当時の製作でないかと推定されるとあった。
その断片が、サントリー美術館で行われている「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」に出展されているというので、観に行って来た。
鳳凰は、優れた天子が世に現れる兆しとして、古代中国で生み出された空想の鳥で、鳳が雄、凰が雌ということである。
が、鳳凰(ほうおう)という言葉の響き、連想されるイメージが何となく魅力的である。
有名な平等院の鳳凰堂は、鳳凰が羽根を拡げた姿を建物の構造としていると共に、冒頭で書いたように屋根の棟の上の両端に安置されている。
もっと身近なところでは、一万円札の裏側に描かれている。(表の福沢諭吉ばかりに目がいくが、これも凛々しい姿である)
その鳳凰堂の鳳凰(展示品は模造)は、目が大きく、ぐっと胸を張り、両翼を拡げ、たわわな尾羽を後方に反らし、勇ましく直立している。
その傍らに、尾羽の断片が展示されていたが、本当に断片で、これを創建当時製作のものと検査した技術に感心するものの、見た目はどうということはない。
鳳凰は、麒麟、霊亀、応龍、と共に四瑞として、福をもたらす不変の存在として人々の想いを集めていたようである。
姿は、鶏でもなく、鶴でもなく、雉でも孔雀でもなく、西洋の不死鳥(フェニックス)と似たような形である。
獅子のほうは、写真にある文殊渡海図(鎌倉時代:醍醐寺蔵)が、展示期間を過ぎていたので見ることが出来なかった。
両者ともに不滅のシンボルであることに疑う余地はない。