【2011年3月19日(土)】「白洲正子 神と仏、自然への祈り」#2
この企画展は、白洲正子の生誕百年を記念して、滋賀、愛媛と巡回して来た。
「ごあいさつ」の文から少し引用する。
「昭和39年(1964)、東京オリンピックの喧噪に背を向けるように、54歳の正子は西国三十三ヵ所の巡礼に出ます。この旅で観音巡礼は神道でも仏教でもなく、日本古来の自然信仰に源があることを確認できたことが、以後の執筆活動に大きな影響を与えました。」とある。
展示構成が10に分かれていて、図録もそれに合わせて10分冊となっている。各コーナーからいくつか紹介したい。
1:自然信仰
この日の朝、自宅から見える富士を撮っていた。写真では分かりにくいが、霊峰に当たる光の加減がいつもとは微妙に違っていた。
「富士図扇面絵」
正子は富士山を「私の中のあれ」を表現し、「単なる原風景という言葉では表現できない何かがある」と記している。
2:かみさま
「国宝≪家津美御子大神坐像≫平安時代 熊野速玉大社」
杓状を掲げ、ずっしりと構える姿は静謐が漂い、虚空を見つめる両目に安堵感を感じる。
正子は「ご承知のように、神像は神仏混淆の思想が生んだ形式です。(中略)ある時はその像が、聖徳太子に象徴され、ある時は地蔵菩薩に酷似し、またある時は美しい女体をかたどったのも、偶然とはいえますまい。それらの理想像は、ただ外に現れる機会がなかっただけで、古代人の血の中で、すでに結晶していたのです。」と語る。
3:西国巡礼
「国宝≪銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)≫白鳳時代 長谷寺」
この銅盤は、一部が欠損しているものの、様ざまな仏が多宝塔を囲むようにびっしりと打ちだされている。「仏教美術史の上では重要な位置を占め、長谷寺の最初の本尊として、忘れることの出来ない遺品である。」とある。
正子は「・・・日本には「信心」という言葉がある。「何ごとのおわしますかは知らねども」の何ごとかを信ずる心である。たしかに、私達は、外国人がいう意味での宗教も信仰も持たないかも知れないが、もしかするとそれ以上に、強烈な信心を秘めていないとはいい切れない。」と語る。
4:近江山河抄
「≪観音像群像≫ 円空作 江戸時代 千光寺」
図録の写真は31体掲載されているが、実際の展示は10体。他にも歓喜天や十一面観音の円空仏があった。どれも素朴ではあるが、芯の通った信仰心が読み取れるものである。
正子は「技法は極端に省略され、神も仏も木の魂のようなものに還元してしまう。(中略)円空はついに木彫の原点に還った。いや、日本の信仰が発生した地点に生まれ返ったというべきか。」と語る。
5:かくれ里
「重文≪毘沙門天立像≫平安時代 櫟野寺」
甲賀の櫟野寺に祀られている、田村麻呂が自ら造ったという等身大の毘沙門天。堂々とした体躯で、北方の守護神に相応しい威厳に満ちた像である。
正子は「・・・秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所に、今でも「かくれ里」の名にふさわしいような、ひっそりとした真空地帯があり、そういう所を歩くのが、私は好きなのである。」と語る。
東北地方にもこのような「かくれ里」が沢山あるだろう。それらの一部が今回の震災によって壊滅したであろう。
合掌。
※
「白洲正子 神と仏、自然への祈り」#3に続く。