【2010年12月30日(木)】恒例年末ゆるり古寺古刹巡りVol.15
観音寺を辞して、再び三山木駅への一本道を引き返す。約30分ほどでJR駅、近鉄駅と過ぎ、駅をそのまま通り越して、程なく行った左手に本日お昼頃に伺う予定で電話をしてあった寿宝寺があった。
道からほんの少し奥まったところにあるので、うっかりしていれば通り過ぎてしまうところだったが、そこにいた数人の人影でお寺の存在を確認した。
門を入った正面に本堂が、左手に収蔵庫がある。本堂横の受付に居た奥さんに「ちょっと時間より早いのですが、お願いしていた者です」と声を掛けると、「どうぞ、どうぞ」と愛想よく収蔵庫に案内していただいた。収蔵庫に上がりこむと、最初に「お勤めを」とお経を唱えていただく。「南無観世音菩薩・・・・・・・・」実に良いお声である。
そして、寺伝と仏像のご紹介をいただく。
704年に創建され、かつては七堂伽藍を備えた大寺であった。ご本尊の十一面千手千眼観世音菩薩様は右に500本、左に500本の合計1000本の手をお持ちになり、それぞれの手の平に墨で書かれた目が残っている。(懐中電灯でそこを照らしてくれる)欅の素木の一木造りの重要文化財である。
「この沢山の目で、手で、私たちをお救いになってくれます」と言われ、「昔は、昭和24年まではこのように(右手の壁の写真を指差し)本堂は茅葺で、夜は月の光の下で拝まれていました。この仏さまは昼と夜とではお顔の表情が違って見えます」と、収蔵庫の扉を閉めて、電灯をつけられる。
すると、伏し目がちでやさしい慈しみ溢れる尊顔が現れる。
「みんなが幸せに暮らせますように、戦争が起きませんように、南無観世音菩薩・・・。観音経では一心に南無観世音菩薩とお唱えすると菩薩様は三十三の姿に変化して我々を救ってくださいます」
「それでは、もう一度、太陽の下でのお顔をご覧いただきましょう」と再び扉を開けられる。
今度は、密教の仏に変化し、目がハッキリと唇の朱色も鮮やかで厳しい表情になられた。
御本尊の向かって左には降三世明王、右には金剛夜叉明王が祀られている。どちらも平安時代後期の作で、こちらも迫力ある仏像である。五大明王の他の三体は近くのお寺にあると言う。
「写真はよろしいのですか?」と伺うと「ご住職はあまり好まれないのですが、結構ですよ」とご許可をいただいた。
その後も国崎望久太朗の歌など色々と熱心にお話をしていただいた。
通常の千手観音菩薩の脇手は左右に20本づつの40本で、1本を25本に見立て、全部で1000本とされるが、本当に1000本の手があるのは、奈良の唐招提寺、大阪の葛井寺と、ここ寿宝寺の三体だけである。貴重な仏さまが拝観出来た。