【2008年6月28日(土)】奈良国宝の旅Vol.20
西院伽藍の最後は大講堂。桁行9間の入母屋造の大きなお堂で、ご本尊は国宝の薬師如来三尊像。左右に控える日光・月光の両菩薩も含めて三体とも坐像だが、みな大きく金箔がよく残っている。
そして、四隅には四天王が安置されている。こちらの四天王は、金堂の四天王とは異なり、勇壮で担当する方面を守備するように睥睨し、邪気を踏みつけている。
金堂前に表示されていたように、大講堂の右手裏の扉が開いており、裏手の上御堂へ登る階段がある。小高い丘の上にお堂がある。上御堂は通常は非公開で、金堂修理工事期間だけ金堂の釈迦三尊像と薬師如来坐像が安置されているので、特別に公開されている。
上御堂自体の本尊も釈迦如来で、左右に独立した菩薩を従えている。拝観が堂内に入れないのと、手前に金堂から臨時に来ている仏像があるのでよく見えないこともあるが、平安時代の作だそうで金箔が残る(寄木だろうか)大きな仏像である。
そして、ここにも須弥壇の四方に四天王が安置されている。法隆寺西院伽藍では、金堂、大講堂、上御堂と三つのお堂に四天王が安置されている。これは、聖徳太子が物部氏との戦勝祈願で四天王を造立したという伝承が影響しているのだろう。
金堂から来ている釈迦三尊像は御堂の正面手前に手に触れられそうな位置に仮安置されている。こんなに日の光で間近に見ていいのだろうかとドキドキしてしまうくらいの距離である。飛鳥時代の止利様式である、正面観照性の高い左右対称の衣文の襞やアルカイックスマイルと呼ばれる両口端が少し上がった口元、アーモンド形の目、といった特徴がよく見て取ることが出来た。聖徳太子のために造られた像は太子が見ることなく亡くなってしまったが、生きていたら果たして太子はどう見たことだろう?
御堂に向って右には金堂から仮移坐している薬師如来坐像が座している。こちらも飛鳥時代の金銅仏だが、釈迦三尊像の後に作られたと言われている。止利様式の特徴は非常によく似ている。
上御堂の上で振り返るとやはり小高い丘にいることが実感できる。
御堂の脇を降りて、再び回廊に出てから隣の聖霊院へ。聖徳太子坐像が祀られるお堂で、太子像は普段は非公開だが、内陣に上がって参拝は出来る。そこでご朱印をお願いして、参拝する。ご朱印を頂く時に、「これは、和を以って貴しと為す、と読みます」と解説を頂いた。「以和貴為」と聖徳太子の17条の憲法の冒頭の言葉が引用されている。