【2008年5月5日(月・祝)】三浦ハイキングVol.2
本堂の裏手には立派な収蔵庫が建っていた。ドアを開けようとすると中から予約時に電話で応対したくださった女性が出迎えてくれた。
靴を脱いで中に上がると、中央に立派な阿弥陀三尊像、左右に不動明王と毘沙門天が安置されていた。運慶作の諸仏にも驚いたが、更に既に2組の夫婦が拝観していたのは予想していなかっただけに、思わず妻と顔を合わせてしまった。
1組の夫婦は、拝観するというよりも微に入り細に入り彫刻を丹念に調べ尽くしているという感じであり、あっちを見たりこっちを気にしたりという風体であった。もう1組は、ご主人が仏像シリーズの本を片手にしており、これまた仏像マニアらしく、運慶仏はすべて観てきていると言っていた。
運慶の現存する作品というは、制作年代順で、①円成寺の大日如来 ②願成就院の阿弥陀如来など諸仏 ③浄楽寺の阿弥陀如来など諸仏 ④高野山金剛峰寺の八大童子 ⑤東大寺南大門の金剛力士 ⑥興福寺北円堂の弥勒如来 ということで、①も④も行くのには不便だし、⑥は秘仏で開扉時期が限られているし、簡単に見られるのは⑤ぐらいで、やはり相当なマニアであることは間違いない。
拝観している間にも幾人かが訪れてきたのにもビックリした。
さて、ここの運慶仏のほうだが、先ず阿弥陀如来坐像とその脇侍の観音菩薩立像・勢至菩薩立像には一目で圧倒された。本尊の整った顔、均整の取れた体躯、深く流れる衣文。脇侍の流動的な肢体と厳かな面立ち。それに三体のバランスの良さが全体の構成を引き締めて緊張感と荘厳さを漂わせている。三尊像は裏側に回りこんで身近に観ることもできる。何度か回って観た後に、正面に座って暫し佇んで見入ってしまう。阿弥陀如来という経典に拠る仏を表現するのは、やはり彫刻家ではなく仏師という僧だ。彫刻家は自分の作品を造るが、仏師は経典の仏を現実空間に表出する。実際に運慶も興福寺の僧として名前を連ねていたという。もちろんその表現方法にはその時代や素材や技法の違いがあるが、施主の願いとともに仏師の帰依が、不朽の心に迫る仏像を造らせるのだろう、そういう思いがした。
三尊像の右には不動明王、左には毘沙門天が夫夫やや内向き構えて揃っている。これぞ運慶!といった力強さ、写実感、ダイナミズムで存在感を持って迫っている。
これで運慶作の主要な仏像は、東大寺南大門、高野山金剛峰寺、願成就院とこの浄楽院で拝観できた。残るは、デビュー作の円成寺の大日如来と最後期にあたる興福寺北円堂の弥勒仏などとなった。