【2006年12月30日(土)】 2006年年末京都#8
石山寺駅から京阪電車で20分の三井寺駅に降り立ち、三井寺を目指す。
中学生の自分に一度来たことがある。そのときの印象は、何しろ広かったということと、ゴミ箱に「護美箱」と書かれていたことであった。
【仁王門】
駅から歩いて10分ほどで仁王門にたどり着く。
【大伽藍】
現在金堂は保存修理中ということで外観も内部も見ることは出来ないが、入母屋造の綺麗な堂である。
【衆宝観音】
なんとも女性らしくかわいい姿態の観音さまである。観音堂に登る途中に鎮座していた。
【フェノロサの墓】
朱印にある通り大伽藍であるので、金堂から観音堂まではかなりの距離がある。フェノロサの墓のある北院の法明院まで歩いては行けないので土産物屋でタクシーを呼んで向かう。
法隆寺の夢殿で秘仏であった救世観音を発見し世に出したフェノロサは、明治時代に東大で哲学を講じると共に、日本美術に関心を持ち、岡倉天心と共に古寺の美術品に造詣が深かった。
そのフェノロサが景勝をこよなく愛したこの法明院で得度受戒して、遺言でこの地に葬られたという。
【琵琶湖】
今は訪れる人もないのであろう。寺自体も常駐する人が居ないらしくさびれた状態である。
そして、琵琶湖を望めばフェノロサが目にしていた光景とは異なり、眼下の琵琶湖湖畔には数多くの高層マンションが立ち並ぶようになった。
聞くところによると、大物タレントもどこかの最上階を購入してバス釣りに来ているとか。
【大津宮遺跡】
663年の白村江の戦いにおいて日本(倭)と百済の連合軍は唐・新羅の連合軍に大敗をするが、それによっていつ飛鳥の都に攻め込まれるか危機感を持ったため、天智天皇は大宰府や瀬戸内海沿岸の警備を強化した。
その延長線にあるのか、天智天皇は667年に都を近江大津に移した。後ろが比叡山、前が琵琶湖という地理的な条件が遷都選定の理由であったのだろうか?
壬申の乱後、後の天武天皇が飛鳥浄御原宮に遷都するまでのわずか5年の都ではあったが、発掘の跡地で解説をしてくれた運転手さんによるとやはり広大な宮だったようである。
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外来魚による生態系破壊で問題となっている湖でバス釣りを楽しむ。その湖畔ではバス釣りを楽しむ人も入居するためのマンションが建設される。
フェノロサも予想することすらできなかったように景観や環境が様変わりする。
救世観音も数百年被っていた白布を取られるとは思わなかったのかもしれない。
伝統と進歩、このトレードオフの関係は価値観の変化にも起因するのかもしれない。