【2012年12月29日(土)】師走の京市内と大和路を歩く#14
高瀬川を渡るとすぐ右手にお寺の門らしきところが見えたので、そちらに行くとそこが「瑞泉寺」であった。
瑞泉寺は、慈舟山と号し、浄土宗西山禅林寺派に属す。
豊臣秀吉の甥である秀次一族の菩提を弔うために建立された。
境内はさほど広くはないが、本堂と庭木が調和している。
本尊は阿弥陀如来立像であるが、ガラス越しなので反射で良くは見えない。
それでも伏し目がちでの温和な表情が見て取れた。
関白となっていた秀次ではあるが、秀吉から次第に疎んじられ、1595年に高野山で自害させられた。
その後秀次の幼児や妻妾たち39人が三条大橋西畔の河原で処刑され、遺骸はその場に埋められ塚が築かれたが、荒廃してしまった。
1611年に高瀬川の開削中にこの墓石が発見され、この地に堂宇が建立され、秀次の法号をとって瑞泉寺と名付けられた。
また、境内一角には地蔵堂があり、脇壇には秀次一族や家臣の像を写したと云われている。
門を入って直ぐ右手には大日如来が祀られていた。
山茶花が咲き始めていた。