【2012年10月28日(日)】
北澤八幡宮での参拝を終え、その隣の森厳寺へ。
門の外から見ても、その名の通り樹木が多い。
以前一度来たことがあるが、その時は境内の中に併設されている幼稚園児とその母親たちで賑やかだったが、今日は日曜の朝なので森閑としている。
それほど広くはない境内ではあるが、樹齢400年の大木が聳えるように立っている。
本堂に行く手前左手に、閻魔・不動堂がある。
浄土宗なのに不動明王とはこれいかに?
そして、その先にはモダン(死語?)な造りの弁天堂があり、まだ新たしいと思われるふくよかで彩色が美しい弁財天が祀られている。
本堂は幼稚園と庫裏の間の剪定された低木が並ぶ参道の先にある。
1608年の開創で、徳川家康の次男で豊臣秀吉の養子となった秀康の一周忌を機に開山された浄土宗のお寺である。
本堂手前の香炉には葵の御紋が付けられており、徳川家との関わりがうかがえる。
本堂内は阿弥陀三尊像が安置されているが、本尊と脇侍の観音・勢至菩薩ともに本体と光背ともに金箔(?)で覆われている。
庫裏にうかがって、ご朱印をお願いする。
受付には写経の案内のほかに、こんなポスターも。法話だと浄土宗でないと困ることがあるが、これなら行ってみたい気もする。しかも本堂で行われる。
そして、庫裏の中には浄土三部経の中に示されているのだろうと思われる絵が掛けられていた。
御朱印をいただいた際に、つかぬことをお伺いしますがと前置きし、浄土宗なのに不動明王が祀られているのはどうしてですかと訊いてみた。
すると、対応された僧侶は、私もここに来てまだ半年なのですが、以前は山門も鳥居だったということで、境内内に淡島神社があり、おそらくそちらが先にあり、その後お寺が出来たようです、と解説していただいた。
が、不動明王のくだりは分からなかった。
どうりで神社らしき建物があると先ほど思ったのだが、こちらが北沢淡島明神社で、古くから「淡島の灸」と「淡島の針供養」で知られているということである。
いただいた縁起には、森厳寺を開山した清誉存廓上人が勧請したということで、なるほど浄光院八幡山との山号は神仏習合を表している。
上人は土地の神様である淡島様を信じ、腰痛に悩まされていた時に夢で「一足一灸よく万病を治す」と言われ実行したところ治ったということで、自身の出身地である紀州の加太に本社がある淡島様の分社の許しを得たということである。
このあと本来行こうとしていた狛江のお寺は、驟雨のために止めて自宅に戻った。