【2012年8月13日(月)】2012年夏福井・奈良・京都旅行#46
「立磐神社」「夜支布山口神社」を辞して、更に柳生街道を歩く。次に目指すのは「南明寺」。
またもや、のどかな道を景色を楽しみながらのハイキング。
すると、途中に「水木古墳」という史跡があった。6世紀後半に造られたもので、現在は横穴式の石室の跡だったと思われる石がいくつか並んでいた。この地域を治めた首長の墓と推定されている。
イラストマップには途中に、多聞神社や東福寺への横道があるようだが、全くわからず(当初から寄るつもりはなかったが)、ひたすら平坦な歩きやすい道を歩いて行った。
大柳生の集落とイラストマップには書かれている。
約40分近く歩いただろうか?目指す「南明寺」が現われた。
鎌倉期の簡素な一重寄木造りの本堂である。
本堂の扉が閉まっていたので、庫裏に行き、ドアホンを鳴らすが応答がない。3度ほど押すも、誰も出てこられない。ということは留守。
あーっ、なんと残念なこと。
ここでは、平安時代の薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来が拝観できるはずだったのに。
今度来られるのはいつになるか分からない。名残惜しいが仕方ない。
近くに、柳生の城主であった但馬守宗矩が、ここを通りかかった際に、洗濯をしていた「おふじ」という娘に「桶の中の波はいくつあるか」と尋ねると「お殿さんがここまで来られた馬の歩数はいくつ」と問い返したので、その器量と才気をみそめ、のちに妻に迎えたという、「おふじの井戸」があった。
更に柳生街道を歩いていく。