【2012年7月20日(土)】(東京古寺探訪#80)
幡ヶ谷不動尊の前の商店街はかなり長い。次に訪問するのは中野区南台の「寶福寺」で、おおよそ30分は掛かる予定。
途中で道が分からなくなりそうな気がしたので、交番で道を尋ねると、どこの交番も親切で、地図を出して来て、「今、ここだから、この信号をこっちに行ってから右に曲がる」などと説明してくれる。
で、その通りに歩いていくと、またもや少しだけ寄り道。「真宗大谷派 大善寺」。
なにやら工事中だが、本堂内は見渡すことが出来、奥に阿弥陀様が祀られていた。仏天蓋の細工が実に細かく出来ているようだった。
寶福寺を目指す。雨はまだ小降り。道行く人も少ないが、ようやくのことで、お寺を発見。
ここは真言宗豊山派。寺伝では聖徳太子の諸国巡礼時に、この地に堂宇を建て、如意輪観音を安置したとされているが、真偽のほどは定かではないだろう。
その後数々の再建があり、1934年には観音堂が改築されたものの、2009年7月9日の早朝の火災で全焼し、現在、その如意輪観音様は本堂に安置されている。
観音様は堂内の奥に祀られているので、細部までは分からない。が、右膝を立て、右手で頬杖を付く輪王座ではあるが、通常六臂のところが、この観音様は二臂だという。
帰り際に庫裏によってご朱印をお願いすると、女性の先客がおり、奥様が「少しお待ちください」と丁寧に座布団まで出してくださる。
「観音堂再建のご寄付」の依頼と設計図が貼られていた。2015年秋に落慶の予定だそうである。
観音堂再建の暁にはもう一度訪れてみたい。
隣接して、多田神社が建っていた。