【2012年6月30日(土)】(東京古寺探訪#75)
武蔵国分寺跡の「お鷹の道」を歩いていくと、「国分寺市武蔵国分寺跡資料館」があった。
ここは、旧国分寺村の名主の本多家の跡で、門は長屋門という形式だそうである。
内部に入るには、向かいのカフェ内でチケット購入するようにとあるので、その「おたカフェ」へ入って、入園券(100円)を求める。
門内に入ると、鬱蒼とした森をバックにして庭園と資料館があり、右の傍らには、昔の武蔵国分寺に建っていた七重塔の復元模型が建っていた。
この模型は、当時の塔を推定してその10分の1で造られたもので、以前は国分寺市旧本庁舎前に置かれていたが、庁舎解体に伴い、今年の2月にこちらに移設されたという。
往時の塔は60mとのことで、835年に落雷で焼失されてしまったとのこと。
資料館は「見る」、「学ぶ」、「訪ねる」をテーマとし、小ぶりながらも充実した展示内容となっていた。
館内入ってすぐにのところの第1室には、武蔵国分寺のジオラマが置かれていて、僧寺(国分寺)の全貌が分かるようになっていた。
第2室は「国分寺市の文化財」が並び、土器などのほかに、「唐草四獣文銅蓋」や「緑釉花文皿」など歴史的価値の高いものがある。
中でも、「銅像観世音菩薩像」は小品ながら白鳳期後期に制作されたものと考えられていて、関東では最も古い白鳳期の仏像という。
やや細面ではあるが、口元の微笑み、三面宝冠で可愛らしい。
第3室には遺跡から出土した瓦が沢山並んでいる。
そして、瓦の役割、様ざまな瓦の名称、つくり方の解説パネルが充実している。
反対側には、全国の国分寺(金光明四天王護国寺:僧寺、法華罪滅之寺:尼寺)の分布が図示されていた。
資料館の裏には湧水源がある。ここから清水が出ており、武蔵の国分寺をこの地に建てた一旦をになったこととされている。
実際、今年の1月にオンエアされた「ブラタモリ国分寺~遺跡編」では、このあたりをブラブラしたようである。