【2012年6月16日(土)】
(称名寺赤門前の案内表示)
GWに奈良へ行った際に、
「解脱上人貞慶」展は行っていた。
興福寺から友の会の会員に送られてくる「興福」という冊子内に、奈良博の西山学芸部長の「特別展「「解脱上人貞慶」を終えて」」とうい寄稿があったので、貞慶について再度勉強し、展覧会へ。
貞慶は実際のところあまり知られていない高僧である。
1155年に藤原道憲の孫として生れ、1213年に入滅したので今年が800年遠忌にあたる。
興福寺に入ったのち、笠置寺、海住山寺へ移る傍ら、釈迦如来・弥勒菩薩・観音菩薩・春日明神を篤く信仰し、戒律の復興、法相教学の確立、様ざまな寺院を勧進により復興し、法然の専修念仏を批判した僧である。
金沢文庫の2階に上がると奥の方で、学芸員の瀬谷氏が10名ほどのグループに解説を行っていたので、はじめにその話を聞きにいく。
丁度春日本地仏のところで、春日一宮=釈迦、二宮=薬師、三宮=地蔵、四宮=十一面観音とのことで、薬師寺蔵の地蔵菩薩の前で解説していた。
地蔵は弥勒菩薩がいる兜率天へ導く功徳があるので、貞慶も深く影響を受けたという。釈迦信仰は弥勒信仰に結び付き、南都へ広めた。この仏像は、貞慶が夢を見て、匠を呼び造らせたもので、東大寺知足院に安置されていたという。(重源との関係か?)
(ちなみに南都三大地蔵は、、十輪院、福智院、東大寺知足院のものとのこと)
そして、袈裟には彩色が施されているが、顔や手足は素地造りとなっており、白檀を意識したという。
最初に戻って、展示会の構成は以下の通り。
1.興福寺の貞慶と法相宗
【解脱上人像】 江戸時代 唐招提寺 絵画
若かりし頃の貞慶。眉が下り、鼻が大きく、おちょぼ口が貞慶の特徴のようだ。
2.笠置寺の貞慶と信仰世界
【五重塔初層内陣扉絵】 鎌倉時代 海住山寺
(上記写真の左下)閻魔大王他4面(展示替えあり)はいずれも古びて判別しにくい状態だが、国宝。
【四天王立像】 鎌倉時代 海住山寺
(上記写真の中下)小ぶりだが、彩色豊かに残り、細かい彫刻で美しい。
上記写真左から。
【阿弥陀如来立像】 鎌倉時代 東大寺(俊乗堂)
快慶作の重源の臨終仏。細身で半眼でやや下を向く。バランスが見事で、衣の細かい戴金で荘厳されている。貞慶が開眼時に供養導師を務めたという。
【弥勒菩薩立像】 1190-99 東大寺中性院
右脚を前に、右手を差し出し、切れ長の目に面長の面相で体を少しくねらせるポーズ。慶派の作といわれている。
【釈迦如来立像】 1199年 峯定寺 金泥
宋代の仏画の影響を受けているということで、四角い顔に、流れるような衣文線。
3.貞慶を南都復興
貞慶は興福寺北円堂、唐招提寺、海住山寺、元興寺などの復興を勧進を用いて行った。
それらの書が残されている。
4.海住山寺の貞慶を観音信仰
貞慶は1208年に海住山寺へ。そこは観音菩薩の霊場で、1213年に入滅するまで暮らした。
【十一面観音】 平安時代 海住山寺 木造素地
檀像風に造られた平安初期の名品。細かい彫刻で、尊顔は下膨れだが少し厳しさも感じられる。
※チラシ表紙の写真
【釈迦如来坐像】 1225年 東大寺指図堂 榧 素地仕上げ
善円作の白檀風の仏像。蓮華坐の蓮の先に吊り下げられた装飾も細かく綺麗に残る。
【十一面観音坐像】 鎌倉時代 現行寺 木造漆箔
坐り方が円成寺の運慶作の大日如来に似ていて、のびやかな脚で安定感がある。
天平彫刻を彷彿とさせる健康美溢れる上半身。朴訥とした尊顔におちょぼ口。部上の化仏が大きく、特に頭頂仏がひきたつ。
他にも見どころ満載の企画展。称名寺の寺宝も多く展示されている。
会期:平成24年6月8日(金)~7月29日(日) ※期間中に展示替えあり