【2012年6月9日(土)】
五反田駅から歩いて10分程度の清泉女子大学で行われている公開講座に行く。
滅多に入れない女子大学。もちろん、校門前の門衛所で受講証を提示する。
「清泉ラファエル・アカデミア」の講座「仏像彫刻の歴史をたどる」の4回目の本日のテーマは、「平安時代半ばの仏像彫刻の特徴について」。
観心寺の如意輪観音や法華寺の十一面観音、羽賀寺の十一面観音、橘寺の伝日羅像、広隆寺の地蔵菩薩など、これらの仏像に共通する造形の特徴は、丸い顔に切れ長の目で、一種独特な艶めかしさが漂う。
830年~860年頃に製作されたこれらの仏像の背景について解説された。
嵯峨・淳和・仁明の3代の天皇の時代にあたり、朝廷の治世が安定していた時期で、宮廷内の女性の好みが表れていた、という。
寺院の創建に際しては、夫が亡くなった際の供養として妻が行うのが多く、これら3天皇の后が造仏に深くかかわっていた。
また、当時書かれた「三宝絵」(源為憲が尊子内親王に献上)は、淳和天皇の后の逸話であり、その中に釈迦の弟子である「阿難」に触れられている。
阿難は、女性が想いを馳せるほどの若く眉目秀麗であったため、悪影響が出ないようにと、右肩がはだけていたのを衣で隠すようになった、という。
簡単に言ってしまえば、夫の死に際して妻たちが、造仏に関与して自分たち好みの艶めかしさを出した、ということらしい。
ノートを取ったものの、理解がまだ足りていないなぁ。
平安時代後期には丸顔が次第に四角ばっていく。(じゃぁ、これはどうしてなんだろうか?きっとその時代が過ぎると、違った環境になりそれが影響して行ったのだろう)
1時間半の講義はいつも飽きることがない。