【2012年5月4日(金・祝)】湖北・奈良・京都古刹巡りの旅#22
戒壇堂からブラブラと二月堂へ向かおうと思っていたところ、そう言えば西塔跡はまだ見たことがないなぁと思って、ちょっと立ち寄ってみた。
少し小高い所が、おそらく西塔跡だろうと思い、上に登ってみたが、礎石も立て札もなく本当にここかは分からないが、たぶんここじゃないかと解釈。
753年頃に東塔と共に建立された西塔は、諸説あるが100m程の七重塔だったらしい。
(wikiによると「1970年大阪で開催された日本万国博覧会の古河館で東大寺七重塔が再現された。建物は博覧会終了後取り壊されたが、相輪のみが保存され、大仏殿回廊の東側に建てられている。」と書かれている。)
あー、あの相輪はそうだったのか。
で、再び歩き始めると、指図堂の扉が少し開いているのを見つけた。これまで何度か通ったことはあるが、開いているのは初めてだったので、堂内に声を掛けて、「上がらせて頂いて良いでしょうか?」と伺うと、気さくな人柄のあばさんが「どうぞ」とのこと。
堂内には正面に厨子、左右奥に仏像が祀られている。
正面の厨子内には法然上人像の掛け軸が懸けられている。
1180年の平重衡の東大寺焼き打ち後、復興の勧進職に当たったのは重源上人だが、重源上人は真言を学ぶ傍ら、浄土宗にも信仰が篤く、自らを「南無阿弥陀仏」と称した。
ちょうどその頃、法然上人が招かれ、浄土宗と東大寺の関係が親密になったという、説明を受けてなるほどと思い、今でも浄土宗徒のお参りが絶えないと伺った。
法然上人二十五霊場のうちの第十一番が、ここ指図堂である。
左手奥には厨子入りの見事な美しさの阿弥陀三尊像が安置されている。
3体とも随分と前に傾斜して、早来迎の姿をしている。これまで、こんなに前のめりになっている阿弥陀様を見たことがない。
厨子の内扉には二十五菩薩が舞うように描かれているのも見応えがある。
指図堂とは、いわば東大寺再建の設計事務所で、現在の堂舎は、平安時代にあった中門堂の跡地ということで、その後焼失したが、1852年に浄土宗徒の喜捨により再建された。
浄土宗との関係が分からなかったので、おばさんと暫し雑談して教えていただいた。
また、いつもは開いていませんよね?と伺うと、土・日・祝日は開けているということだった。
「円光大師」とは法然上人が1697年東山天皇から加謚された名であると伺った。