【2012年5月3日(木・祝)】湖北・奈良・京都古刹巡りの旅#2
「高月」は古代ケヤキの大木があったことから「高槻」と呼ばれ、平安時代に大江匡房が訪れ、月の名所として歌を詠んだことから「槻」を「月」と改めたということらしい。
高月駅前から道標に従ってのどかな町を歩くと数分で、渡岸寺観音堂に辿りつく。
昨年の同じ日に訪問しているので2度目の拝観となる。風情のある仁王門の前には、大木が横切るように伸びている。
仁王門には、平安時代の榧の木で造立された約194cmの金剛力士像(阿形・吽形)が立っている。
その門を潜ると左右に大木が立ち並び、奥の正面に本堂が現れる。
が、そこに歩を運ぶ手前の右手に、「御尊像埋伏之地」と彫られた石碑が建っている。1570年姉川の合戦で近隣の堂宇民家は悉く織田信長に焼き払われた。
その時、僧と信徒が観音像をはじめとして多くの仏像を災禍から逃れるために、命がけでこの地に埋めたという。
本堂内には平安期の阿弥陀如来坐像が安置されている。尊顔は大きく穏やかだが、体躯は存外に薄く、後ろは金箔の壁で、堂内三面には絵が描かれている。
そして、その右手に近代的な建物があり、そこに日本に7体ある国宝の十一面観音立像のうちで一番美しいと称されている観音様が安置されている。
360度ぐるりと廻って拝観出来るので、全体も細部もよく観ることが出来る。195cmの天平時代の檜の一木造りの尊像は、凛々しくも優しいお顔で、伏目がちではあるが、麗しく気高さが感じられる。緩やかに纏う天衣の流れるような衣文。
右脚をやや前に踏み出し、腰を捻る肢体は、埋伏から救い出されて、下地の漆の色となっているものの補修はないという。
密教的な不思議な魅力を持ち、一つ間違えば異形とも思われる大きな頭上の化仏もしっくりとしており、化仏も如来像も細かい彫刻で仕上がっている。
更に、右手には平安期の檜の寄木造りの胎蔵界の大日如来坐像が安置されていて、どっしりとした構えで体も顔も大きく、存在感に優れている。
また、その隣には厨子入りの小ぶりな十一面観音立像があり、こちらは可愛らしくも慈悲深さが漂っている。
(※仏像の写真は購入した図録より)
後ろ髪を引かれるようにして、まだまだ佇んでいたい中、観音様を後にする。