【2012年3月3日(土)】(東京古寺探訪#45)江戸三十三観音霊場番外
五反田の薬師寺東京別院まで来たのだからと、この日は京急の青物横丁から新馬場までの間の寺院を巡ってみることにした。
最初は、青物横丁駅を降りてすぐ裏手にある海運寺。
1251年開基され、1661年に海運寺(曹洞宗)となったという沿革があるお寺である。
門を入ると、正面右に本堂、左に荒神堂が並ぶ。
が、門のすぐ右手に、烏瑟沙摩明王が祀られている。
京都の喫茶店で初めて知った烏瑟沙摩明王。こうしてお堂に安置されているのは初めて見ることとなった。
堂内に、厨子入りの明王が右脚で立ち、左脚を曲げて右手で持つポーズをとる。像高20cm程度か。
トイレの守護神として世の中のけがれや悪事を焼き尽くす威力を持つとされている。
境内中央には、平蔵地蔵といわれる「ぼろは着てても心は錦」としてお参りが絶えない石仏のお地蔵様が安置され、傍の明王像の裏には、大正時代ごろまで若者の力比べに使われていた力石が置かれている。
このお寺には、お台所の守護神といわれる千躰三宝大荒神王が祀られているのが有名である。
この尊像は、300年以上前の島原の乱で鍋島公が出陣される際に必勝祈願したところ、千余の神体が現れ敵を鎮定したという逸話がある。その後この寺に勧請したものとされている。
勧請以来、度重なる大火でもこの寺が延焼を免れたということで、江戸庶民の篤い信仰を得るようになった。
荒神様は、台所で一番大事な火と水を守られる神様として、災難を除き衣食住に不自由しないとされて信仰されるようになったといわれている。
堂内天井は、中央の龍の周りに、格天井に様ざまな纏が描かれており、火消しの意味もあるのかと想像される。
また、ガラスの上に彩色された雌雄の鶏の絵は、貴重な扁額であるという。
お堂の奥に、三面六臂の憤怒の形相の荒神様が厨子に入って安置されている。大日如来、文殊菩薩、不動明王の垂迹という。スラリとした体躯ではあるが、異形の尊顔である。
その右隣の本堂には十一面観音が安置されているらしいが、拝観は出来なかった。
庫裏でご朱印をいただくと、火の用心の貼り札もいただくことが出来た。
帰り際に見た鐘楼の四方の柱には、高僧の像が彫られていたのが珍しいなと思った。