【2011年10月1日(土)】奈良・京都初秋の旅#19
タイトルにあるように、9月25日まで東京の国立博物館で行われていた
「空海と密教美術展」には、東寺の講堂の21体の仏像から8体もの仏像がご出張されていた。
また、宝物館からも兜跋毘沙門天が出展されていた。
ということで、何と言っても興味の対象は、その間東寺はどうなっているのだろうか?ということであった。
博物館での展示終了から1週間も経っていないので、まだ戻られていないだろうと思っていたのは、当たっていて、先程の観智院でもそうだった。
いつの時代でも勧進のためのご出張はある(今回の東博のは勧進とは言わないだろうが)のだが、今回の規模は大きかった。
さて、先ず宝物館。久しぶりに開いている時に来ることが出来た。(これも知らなかった、というか調べていなかったので、ラッキー!)
外観は以前と変わらないが、内装がきれいになって驚いた。企画展は「東寺文書の世界」という貴重な書が集められているものだった。
御影堂(大師堂)にはお遍路姿の方たちが多くいらした。
一度、朝の6時に始まる生身供に行きたいと思っている。(いつ叶うだろうか?)
さて、金堂の薬師三尊像は、相変わらずのふっくらとした穏やかな表情で、温和な感じが漂っている。
いつの間にか拝観者がいなくなり、我々二人だけとなった。
そして、講堂。八体の仏像が東博へ行かれていると表示がある。
金剛法菩薩と金剛業菩薩は光背と台座が残っていた。面白かったのは台座の中央に上の仏像本体の蓮華坐を嵌め込む突起部があったこと。
そして、持国天や梵天などには台座の下の四隅に石が置かれていたこと。お堂や回廊の柱の下には礎石があるように、仏像の下にも礎石(と呼んでいいのか知らないが)があるのが興味深かった。
中央の大日如来はしっかりと見開いた目が印象に残り、今まで気がつかなかったが、光背の一番上に宝塔が着いていた。
その前でおばあさんが合掌して、熱心に般若心経をお唱えしていた。
この日はご朱印に「弘法大師」と書いていただいた。