【2011年7月9日(土)】
暫くの間更新が滞ってしまっていた。
しかも、このトピックは先週のもの。あしからず・・・
昨年に続いて、妻が知人の方から観世能楽堂で公演される「山階別会」のチケットをいただいた。
昨年は2度、能を観賞したが、約1年ぶりと久しぶりである。
午前中に用事があり、その後ようやくスマホを購入するために新宿の家電量販店に行き、渋谷駅に着いたのが開演15分程前の13時15分。
暑い日射しの中、東急本店から松濤の観世能楽堂へ早足で歩くと、汗が止まらない。
開演直前に席に着く。いただいた団扇で火照りを取りながら、周囲を見渡すと、ここは別世界だと気がつく。日本の伝統文化に日頃親しんでいない者にとっては、別世界だが、やはりその世界には嗜みのある方が多いのも事実。
能楽堂内には屋根付きの能舞台がある。
なぜ、能舞台には松の木が描かれているのだろうと素朴な疑問が涌いてきた。
今、調べてみると、もともと能舞台は野外にあり、能楽堂に収められてもその野外の舞台を再現しているということらしい。詳細は→
こちらを参照ください。
さて、別世界とはいえ、日本の文化であるから比較的理解しやすいのかと思うと、そうはいかない。何しろ喋り言葉が分からない。これは致命的である。日本語なのに現在の日本語とは大違いだから、まだ英語のミュージカルのほうが理解しやすい。
それに、ここが能の世界の特徴だが、非常に簡素化された所作であるために、それが幽玄というものなのだろうが、なかなか一筋縄では一般人には親しみにくい。
しかし、理解するということよりも、目の前で展開されている世界を素直に感じればいいのだと思えば、眠くなることもない。
謡や笛、大鼓、小鼓の楽奏も衝撃的な感動が湧き起こる。動きの少ない表現も次第に想像力で補うことが出来るようになる。
さて、演目は連吟に続いて、袴能「俊寛」、狂言「仁王」、一調「百萬」、能「井筒」となっていた。まぁ、その場で手引書を読んでいなかったので、内容に関してはここで言及する資格はないと思う。(狂言だけは分かった)
昨年も書いたが、中学生の課外授業で能観賞に行った際に、事前に能は終演しても拍手をしないと習った。でも、今はそうではないらしい。が、あえて書かせてもらえば、やはり余韻を楽しみたいなぁとは思った。