【2010年12月29日(水)】恒例年末ゆるり古寺古刹巡りVol.7
14:45頃に東寺南大門の前の九条大宮からバスに乗り、泉涌寺道で下車し、細い道を歩いて泉涌寺の子院の一つである即成院へ向かう。
これまで2度参拝したことがあるが、日本では他にない阿弥陀如来と二十五菩薩が勢ぞろいしている寺院である。
本堂に上がり、受付で内陣拝観をお願いすると、「10分から15分ぐらいご説明の時間を頂きますがよろしいでしょうか?」とおっしゃるので、勿論ですとお願いする。これまでは住職、その奥さんが対応して頂いたが、この日は9年間ここにいらっしゃるボランティアの男性が熱心に説明して頂いた。(以下、その口調で再現してみたい)
このお寺の特徴は3つあります。先ず1つは、阿弥陀如来と二十五菩薩がお揃いになっているところです。千年前に、浄土信仰の広まりと深まりで、誰もが極楽浄土へ行きたいと思うようになりました。このお寺は恵心僧都源信様が初め伏見にお開きになられ、その後こちらに移ってこられました。
中央の阿弥陀如来様は定朝様のご覧のように美しい気品にあふれる仏さまです。その向かって左側には大勢至菩薩様、右手には観音菩薩様が、いわゆる大和坐りと言って少し前屈みでお辞儀をするような姿勢を取られています。
左右には極楽浄土が美しく楽しく所であることを表すように、楽しげな、中には楽器を持つ菩薩様も混じって、その世界を表しています。
浄土信仰は、誠実に生きる、思いやりをもって生きる、ということで、このような極楽浄土へ行くことが出来ると説かれています。
観音菩薩様は、非常に彫るのが難しいそうで、学者さんの研究では、檜で出来ていて、中は空洞ですが、そこにも金箔が施されているそうで、お顔だけでなくお姿全体が惚れ惚れするような女性的な美しい線で表されています。
そのため、観音菩薩様や楽器を持つ菩薩様はご出張されることが多いので、そのためにこちらの写真(パネル張りの写真)をその時はお祀りしています。
第2の特徴は、信者さんの願いです。こちらには将来寝込んだ時には下の世話にはならずに楽になりたいと願う方や、病気の方を看病する方たちがお参りに来られます。
阿弥陀さんがおっしゃるお言葉を受け止めて、熱心にお参りされる信者さんの願いが通じたのか、涙を流されながら拝まれている方たちがいらっしゃいます。
本当にこのように阿弥陀様と二十五菩薩様がお揃いになる極楽浄土の世界は他にはありませんから、ここでの信者さんは、本当に極楽浄土へと行かれるようになるのでしょうね。
どうぞ寒いので、こちらの方まで来られて絨毯の上でお聞きになってください。メモまでお取りになっているので、ちょっと長くご説明してしまっておりますが、大丈夫でしょうか?(「はい。お願いします」)
第3の特徴は、800年前の那須与一さんのお話です。与一さんは京で病になられ、このお寺にいらしてお願いしているとその病が治られ、屋島に源義経と共に赴くことになりました。
その時、あの有名な合戦の時に、命じられて敵の船の上にある扇を射るように言われたところ、それは海が穏やかではなくかなり揺れていたのですが、阿弥陀様のことを思い出し念じて、弓を射たれたところ、扇がそのままの形でひらひらと舞ったということです。
与一さんはその功績のご褒美に、土地や田畑を賜ったそうですが、阿弥陀様のお陰であったので与一さんはそれを返上して、全国行脚にお出になられ、坊主になりたいと修行され、ここでそう成られて、最後はここで没したと言うことです。
ちょっと長くなってしましましたが、何かご質問などあれば、私が住職や先代の住職から伺っている中でお答えさせて頂きます。
と、説明するにつれてよりご熱心になられ、こちらも恐縮してしまうほどであった。内陣にはヤマハのクラヴィアーノが置かれていた。ここで極楽浄土を表す音楽が奏でられるのであろうか。
那須与一の墓は裏手にあり、「願いが的へ」と合格祈願の参拝者が多いと聞く。
内陣拝観記念に散華を頂いた。ご朱印はもちろん阿弥陀如来である。